宝瓶星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―

【 特別シリーズ 】
総括_Age of Pisces 02
― 占星術の元祖:天文学者ケプラー ―

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“現代占星術の父”で体系化した? エソテリックなのに?

●第1稿 : 2025年10月4日アップ




【※注】 医聖ヒポクラテス

●「医学の父」(医聖)ヒポクラテス(前460頃-前370頃)は、「ホロスコープを正しく解読できない者は医師としての資格がない」とまで言い切っています。

四角いホロスコープは、当時最先端の「古代世界観」、「熱冷湿乾/火土風水」などによって解釈されました。

後年、近代物理科学によって“疑似科学”(迷信)とされましたが、「宝瓶宮時代の宇宙観」(基本三数、数理法則とクオリアル・ワールド)から見れば、一抹の“真理”が含まれています。

そのような「解釈理論」から、気質や体質の四分類による罹りやすい病気などを判断(診察)できたのです。

古代ギリシャのフィロソフィーとも相まって、ヒポクラテスは「医聖」と呼ばれ、古典“医学”アストロロジーの先達です。


双魚宮時代をアストロロジーの観点から総括する2回めです。

今回は「占星術」の始まりにフォーカスしてお届けいたします。

「古典アストロロジー」は、双魚宮時代の影響圏に入った紀元前5世紀頃、古代ギリシャに発祥したホロスコープによって始まりました。

当時は“占い”ではなく、実生活に役立つ医学など当時最先端の学問(-logy)でした。

でなければ、16世紀にやむをえず「占星学」が考案されるまで、約2,000年もの長きにわたって「古典アストロロジー」が西洋社会に根付くことはありません。

その後、20世紀の初期に“ホロスコープ占い”の「現代占星術」が成立していったのですが、19世紀後半にキリスト教系新興宗教団体に属したアラン・レオ(1860-1917)によるホロスコープを用いない「星占い」がキッカケとなったのは事実です。


《 “事実誤認”のオンパレード 》

「ウソを言うな!」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。

残念ながら、以下の内容も含めて事実です。

一部のAstrologer (アストロロジャー:西洋占星術師)が、ホロスコープの歴史と変遷を知らず主観的な思い込みで“Astrology”を述べた言説を、日本でもアストロロジーと“占星術”とを混同して鵜呑みにして十把一絡げで捉えた“勘違い”のオンパレードです。

「現代占星術」は、19世紀中葉に発見された「海王星」の“時代波動”のもとに始まったので、形而上世界の影響が強く、“事実誤認”や“勘違い”など、“夢”や“妄想”また悪気のない“欺瞞”が想像以上に多くみられます。

One-Point ◆ 地上の現実を象わす「土星」と異なり、主観的な形而上世界をメインとする象意なので、ご自分で気づくことが難しくなります。そのような状況下にあって、驚愕の“事実誤認”の代表例を以下、述べさせていただきます。



「現代占星術」を確立させた人々

●“ホロスコープ占い”の「現代占星術」に理論がないのは、「海王星」の発見による心霊ブームの延長にあるからです。

ですが、ホロスコープを用いる以上、それを解釈する理論を軽視するというのは致命的欠陥になっています。

人為的な神話を理論代わりにするのは、「海王星」お得意の重大な“事実誤認”です。

理論を捨て、ホロスコープなしにエソテリックな「星占い」を立ち上げたアラン・レオが、“ホロスコープ占い”の「現代占星術の父」になることなどありえません。

アラン・レオは自らの「星占い」を「古典アストロロジー」と同じように「Astrologyと“誇大解釈”(海王星の象意)して名乗ったのです。

当時の「海王星」の発見に伴なう“時代波動”ゆえ、大衆はダマせても「古典アストロロジー」や「古典占星学」の解釈理論を用いた人々は彼に猛反発しました。

パクられ、偽りの看板を掛けられたので当然です。

結局のところ、彼らが「火/土/風/水」など一部の理論やホロスコープを伴なって、現在の“ホロスコープ占い”こと「現代占星術」を確立させていきました。


《 誰が“現代占星術の父”だって? 》

占星術を信奉する人にとって、詳しい方ほど「ウソ−っ!」という事実をお伝えいたします。

むしろ、“Astrology”の本場とされる西洋の占星術界での“勘違い”なのですが日本でも同様で、信じ込まれています。

その驚愕の“事実誤認”は「アラン・レオ(1860-1917)は“現代占星術の父”」という騙りです。

「星占い」と、“ホロスコープ占い”の「現代占星術」は異なるためです。

さらに、一部で述べられているアラン・レオは“現代占星術を体系化した”という、涙がチョチョ切れるほどの“妄想”です。

ホントですよ。(WWW)

彼自身が、自ら明言しているように、「自分が始めたのはエソテリック占星術だ」という真の意味を知れば、簡単に首肯できます。


●「エソテリック占星術」というと聞こえはいいのですが、彼のは新興“宗教的”な「星占い」のことです。

One-Point ◆ アラン・レオが始めたのは「現代占星術」ではなく、15世紀に考案された「古典占星学」の象意の一部をパクった「星占い」です。エソテリック(秘境的)な主観による“占い”なので、ホロスコープを用いる「現代占星術」の“父”ではなく、まして“現代占星術を体系化”などできません。“密教的”ゆえ不可能です。



【ご参考】 ケプラーとアラン・レオ

●ケプラー(Johannes Kepler)は、1571年12月27日、山羊宮生まれ(太陽)です。

現ドイツのシュトゥットガルト付近で生まれました。

天体物理学者の先駆的存在であり、数学者、自然哲学者、占星術師で、「マイナー・アスペクト」を定めたことでも知られています。

彼が「マイナー・アスペクト」を定めたということの意味は、「偉大な天文学者」というだけではなく、古典アストロロジーにあった「古典理論」に精通し、応用展開ができたということです。

比較しては悪いのですが“エソテリック”(秘境的、密教的、主観的)なアラン・レオなど、その点では足元にも及びません。

“アラン・レオ”と言うのは、「太陽サイン(宮)」だけで占える「星占い」を始めたこととも関係しています。

本名「ウィリアム・フレデリック・アラン」は、獅子宮生まれ(太陽)ということもあり“アラン・レオ”と呼ばれます。


《 西洋ではすべて“Astrology” 》

“勘違い”の原因は次のとおりです。

ホロスコープの解釈が変遷してきた歴史的経緯を知らないと、とんでもない“勘違い”をします。

なぜなら、西洋では古代ギリシャの「古典アストロロジー」は当然「Astrology」と呼ばれますが、16世紀の「古典占星学」も“Astrology”で、19世紀後半以降の「星占い」も“Astrology”、また現在の“ホロスコープ占い”の「現代占星術」も“Astrology”です。

厳密な表現はともかく、「星」(天体=Astro)を解釈すれば、学問(-logy)でも、占い(divination:デヴィネーション)でも、ホロスコープなき「星占い」でも、慣習的に“Astrology”と呼ばれます。

そんなバカなと思うのですが、日本でもそういった西洋の実状があって、「Astrology」(アストロロジー)は「占星術」と訳されています。

占星術は、正しくは「アストロ・デヴィネーション」と呼ぶべきです。

まるで“ミソもクソも一緒”の状態です。

One-Point ◆ アストロロジーは「学」(-logy)です。占星術は「占い」(divination)です。正反対のカテゴリー(範疇)です。キリスト教系新興宗教団体の信者アラン・レオは当時の心霊ブームや、「引き寄せの法則」を生み出したキリスト教系異端のニューソート運動の中、論理的な解釈理論の「ホロスコープ」を捨てて、“誕生月”だけで「星占い」を始めました。


《 事実上の「占星術の元祖」 》

真の歴史的経緯は、次のとおりです。

アラン・レオが象意の一部をパクった「古典占星学」を、15世紀に考案した天才的な人物がいます。

その人物は、古代ギリシャの「古典アストロロジー」にあった「古典理論」が未発達の「近代物理科学」によって“疑似科学”(迷信)とされ、学術的な権威が失墜したのちも、「古典理論」に秘められた“真理面”を悟っていたのか、活用し、「古典占星学」を考案しました。

15世紀末頃のことです。

その人物こそ、偉大な天文学者として知られるケプラー(1561-1630)です。

彼が事実上の「占星術の元祖」です。

今日のように「ホロスコープ作成ソフト」がなく、「天体暦」も普及していない19世紀後半のアラン・レオが、「ホロスコープ」を正しく作成できることはなく、“現代占星術の父”ということはありえません。

ですが、天文学者のケプラーは専門です。

One-Point ◆ 「ホロスコープ」が発祥した古代ギリシャの当初から、ホロスコープを作成できるのは天文学者であり数学者でもある“科学者”に限られていました。それゆえ「〜logy」(〜学)です。それができないアラン・レオは理論もホロスコープも必要とせず“誕生月”だけで占える「星占い」を、「古典占星学」の象意の一部をパクって始め“アストロロジー”と呼んだのです。言い方は悪いのですが“ペテン師”です。


《 “ノストラダムスの偽予言” 》

ついでに蛇足です。

“偉大な占星術師”(偉大な予言者)と“誤認”されるノストラダムス(1506-1577)に触れておきます。

ノストラダムスは、ケプラーと同じ16世紀に、約55年早く生まれました。

「占星学」などまだなかった時代なので、彼が“偉大な占星術師”というのは大ウソだと分かります。

ただし、彼が医者になろうとしてモンペリエ大学で当時は古典医学だった「アストロロジー」を学ぼうとしたことは事実です。

ですが、“落ちこぼれ”たのか、それとも「古典アストロロジー」が当時、興隆してきた近代物理科学によって“疑似科学”とされて学ぶのをやめたのか。

どちらか分かりませんが、いずれにしても卒業した記録がないことは事実です。

ということから、ノストラダムスが“大占星術師”などというのも、下記のように20世紀末につくられた大ウソです。

One-Point ◆ 『ノストラダムスの大予言』という書籍が20世紀末に出版されたとき、著者や出版社などが販売促進の一環として、マスコミを使い大々的に“大予言者”(大占星術師)かのように宣伝しました。無名の人物の予言では本は売れないからです。また、“1999年7の月”などといった予言詩(「諸世紀」)にしても、彼自身のものではなく、既存のものを彼の予言かのように解説したという説があり、さもありなんという思いです。


※次回、第3回めの「総括_Age of Pisces 03」は、意外と知られていない“占星術師”の秘密です。同じ「現代占星術」でもってホロスコープを占断しながら、頭一つ抜け出た本物の西洋占星術師はどこが違っていたのでしょうか。






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