宝瓶星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―
↑ “勘違い”や“幻想”を象わす「海王星」
●リライト稿 : 2025年 7月 9日アップ
「邪馬台国」の所在論争が議論百出なのはご存じのとおりです。
“所在”をどこだと主張してもかまいません。
ですが、史実はそうなってはいません。
まれに“トンデモ説”が出てきて「ついに完全解明」とか「最終結論」などといった主張を散見します。
なぜなら、古代など遠い過去の不確かな事象は、現実を超越した形而上世界にかかわる「海王星」の象意に属するために、“事実誤認”や“勘違い”など、主観による妄想が茶飯事に起こりやすいためです。
邪馬台国の比定も同様です。
「えっ? 『魏志倭人伝』って、そんなに信頼できる史書でしたっけ?」と、同時に「そんなにテキトーな記録ですか?」と思ってしまいます。
論理的な理数系でさえ間違ってしまうことがあります。
「万有引力」の発見によって、物理世界の事象を次々と明らかにしてきた「ニュートン力学」は、今日の「量子論」には通用せず、いまや「古典力学」と呼ばれています。
ただし、“量子力学”(量子論)といえども、物理科学での解明はまだ不十分で、よく分かっていない現状です。
まして、“歴史的事実”などあってないようなものです。
歴史は勝者の記録と言われていることもそうですし、アストロロジカルにみても、特に古代などの遠い過去の出来事は“事実誤認”が避けられない、双魚宮時代末期の共鳴星「海王星」の象意に属するためです。
One-Point ◆ 19世紀中頃の1846年に発見された「海王星」は、“まだ見ぬ理想”を象わします。ゆえに、その直後、理想的「共産主義」や「スピリチュアリズム」(心霊ブーム)の近代二大ムーブメントの台頭がもたらされました。いずれも“まだ見ぬ理想”(夢)を描いて“美しく”はあるのですが、“事実誤認”や“勘違い”が避けられません。
これまでの双魚宮時代の末期はそういった“欺瞞”が生じ、ご自分でも気づかずに恒常的に“妄想”を伴なってきた時代でした。
ですが、一時的ながら去る3月30日に「海王星」が春分点を超え、来年2026年1月27日には正式に越えていきます。
これによって漸次、古い「海王星」の象意が現実を交えたものへと変わっていきます。
なぜなら、「海王星」の春分点越えは「双魚宮時代のリバイバル」のデレクション(運勢変化、時代変化)の終わりを意味し、同時に2,000年以上続いてきた“宗教の時代”といえる双魚宮時代が完全終了することを象わすためです。
そういった双魚宮時代の終末と、あらたな宝瓶宮時代の実働社会の始まりとなる今日、「アストロロジカル・エイジ」(プラトン月、グレート・マンス)の転換期にあって 、パラダイム・シフトの最終局面にあるために、良し悪しはともかく過去の双魚宮時代の常識では考えられない社会状況が起きている昨今です。
One-Point ◆ 何を言っているのか、リアルには信じられない方もいらっしゃると存じます。川の水と海水が入り混じる“汽水域”のような現代に生きている私たちです。一見、ぶっ飛んだ首肯しがたいアストロロジカルな“ウラ事情”が根底にある今日ゆえに、逆順ながら「邪馬台国は馬臺」全15回をお送りいたします。
【逆順でお届けしている連載「邪馬台国は馬臺」は、これまで14回にわたって掲載し、今回が最終回です。正規の順番では初回の内容になります。】
宝瓶宮時代の実働社会の始まりにあたって、古代日本の原点をより史実に基づいてご認識しておくことは、今後の日本また日本人にとって重要になっています。
日本史の原点となった出来事はいくつかあります。
その中でも、支那(China:中国)の正史の枝葉に残され、最も知られていながら、議論百出して定まっていない陳寿が書いた「魏志倭人伝」に記される“邪馬壱国”(やまいちこく)こと「邪馬台国」(やまたいこく)が本連載のテーマです。
旧来の主張と本連載が決定的に異なるのは、新たな「海王星」をふまえつつ「基本三数思考」(クオリアル・シンキング)によって検証し、お伝えすることです。
One-Point ◆ 「基本三数」というのは、単純にいえば、宇宙この世界が成り立っている根幹の普遍的な三要素のことです。それによって「邪馬台国」の古代を立体的に検証していくことで、“事実誤認”や“勘違い”を最小限に留め、ロマンや妄想に陥りがちな“邪馬台国”の実像を炙り出すことができます。
●太古の奈良盆地は湖でした。
やがて土砂が流れ込み、徐々に湿地帯を経て陸地へと変わっていきます。
ですが、大和朝廷が発祥した7世紀あたりまでは、まだ水路が残っていて、ほぼ船で直接に行けたのです。
難波の海から比較的容易に内陸の奈良まで船で往来でき、防衛にも適した“安全地域”でした。
それゆえ、大陸の脅威を感じはじめていた九州倭国は、6世紀末~7世紀初頭に合併によって“都”を畿内大和に移転しています。
現在の内陸部となってしまった奈良盆地ではなかったことが、なぜ邪馬台国の比定に重要なのでしょうか。
2~3世紀の邪馬台国の時代は、船での往来が完全に可能でしたので、「魏志倭人伝」に記される、邪馬台国に至るに「陸行すること一月なり」など必要なく、水行のみで行けました。
妄想を避け、宇宙現実の「基本三数思考」によって常識的に検証するだけです。
卑弥呼が都とした“邪馬台国”を、一部の人々は“や・ま・と”と読み、そのような国があったと“勘違い”します。
2~3世紀の我が国に、“や・ま・と”なる国邑(こくゆう)は実在しませんでした。
あったのは、“邪”の付かない馬臺(またい:馬台)です。
また、7世紀につくられたプロパガンダの書『日本書紀』によって、紀元前660年に奈良橿原でご即位された初代神武天皇から続く独立統一国家「大和」だと信じ込むことによって、史実の「馬臺」が見えなくなります。
“邪馬台国”はもちろん、陳寿が「魏志倭人伝」に記した“邪馬壱国”(やまいちこく)なる国も存在しませんし、“壱与”(いよ)なる2代目女王も存在しません。
陳寿がタネ本にした、今は残っていない『魏略』には「馬臺」(馬台)また2代目女王「臺與」(台与)と記されています。
さらに当時の国際情勢を視野に「魏志倭人伝」を読めば、邪馬台国が海の中に在るなどありえず、行程の読み方が見えてきます。
One-Point ◆ 「魏志倭人伝」の解明に留まりません。陳寿の人物像も重要です。また“事実誤認”や“勘違い”など妄想を避けるために、考古学による物証も重要です。さらには「基本三数」の時間軸の観点から、当時の国際情勢など時代状況の視点は「魏志倭人伝」をあやまたずに解釈するのに欠かせません。
さて、「天王星」は令和7年7月7日の今月、ついに「双子宮」に入宮しました。
この歴史的な意味は、双魚宮時代の社会通念ではとらえることができない「霊識開元」の複合ディレクションの本格化を意味します。
このことからも、日本の原点を正しく押さえておくことは重要です。
和の象徴となっている我が国の政体(国体:天皇の推戴)の原点は、「卑弥呼共立」に見ることができ、その“卑弥呼”こと早弥娥(『魏略』:そみが?)が都としたのが“邪馬台国”こと「馬臺」(またい:馬台)です。
といったことがありまして、畑違いと感じるかもしれませんが、宝瓶宮時代の新しいアストロロジー「宝瓶星学」の番外編として、古代史「邪馬台国は馬臺」全15回の連載です。
One-Point ◆ 日本の原点には、双魚宮時代の“源流”となった淵源がかかわっています。また今後の時代も、日本は世界と深くかかわって「和」(民度)の模範となっていきます。当連載でそこまで踏み込みことはありませんが、日本の政体において「卑弥呼共立」と「馬臺」(邪馬台国)も類似てす。
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