宝瓶星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―

【 特別シリーズ 】
総括_Age of Pisces 05
[ホロの変遷:後編]
― ホロの構成要素と解釈の違い ―

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“ホロスコープ占い”が生まれた語られざる経緯

●霊媒師マダム・ブラヴァッツキー。
※「海王星」発見後に「神智学協会」を共同設立し、率いた代表者。「占星術ロッジ」のアラン・レオの上司に当たる。


●第1稿 : 2025年10月28日アップ



双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)をアストロロジーから総括する第5回めです。

先回のホロスコープの変遷の続きで。たぶん「何ソレ!?」といった信じられない内容になります。

「海王星」発見後の人類歴史は、多くの方が気付いていないだけで、“事実誤認”や“勘違い”のオンパレードだったからです。

双魚宮時代から宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)へパラダイム・シフトの最終段階にあった時代で、真実が明らかになっていく前段の混乱期を迎えていたためです。

「現代占星術」も同様で「海王星」が発見された19世紀後半を皮切りに20世紀の初期にカタチづくられた“ホロスコープ占い”もそうです。


《 “現代占星術の父”という“事実誤認” 》

「現代占星術」が形成された概略は次のとおりです。

19世紀後半のアラン・レオ(1860-1917)は、古典アストロロジーや古典占星学にあった古代ギリシャ由来の「古典理論」や「ホロスコープ」を捨てました。

アラン・レオが“現代占星術の父”というのは、完全なる“事実誤認”で、「海王星」の時代特有の最高レベルの“勘違い”です。

彼が自称した“Astrology”が大衆に受け入れられ、当時ブームになった理由は、ホロスコープを用いず「生まれ月」だけで簡単にみられる「星占い」だったからです。

当時は「ホロスコープ作成ソフト」はなく、作成が困難な時代ですし今日のような“ホロスコープ占い”の「現代占星術」がブームになることはありません。

重要な事実は、ご理解いただけないかもしれませんが、19世紀当時までの常識から言えば「ホロスコープ」を用いないということは「古典理論」を必要としないということでした。

事実、彼は「古典理論」によらず、16世紀に始まった「古典占星学」の象意解釈の一部をパクって、理論が不要なエソテリック(秘教的:)な「星占い」を“Astrology”と偽って始めたのです。

One-Point ◆ ウソだと思われるかもしれませんが、根拠は次のとおりです。「現代占星術」がカタチづくられはじめた頃、彼自身「自分が始めたのはエソテリック占星術だ」と述べています。意味はお分かりでしょうか。アラン・レオの「星占い」に反発した“古典理論派”の人々が、“これこそがアストロロジー(実態は「古典占星学」)だ”とばかりに「古典理論」と「ホロスコープ」を伴なって参入してきたのです。今日に通じる“ホロスコープ占い”こと「現代占星術」のはしりですが、アラン・レオは“自分が始めたものは違う”と述べた言葉です。


ケプラーしか考えられない

●丸いホロスコープへ変遷の経緯は文献等で確認できたものではありません。

ですが、天体学の発展と、「古典占星学」と「現代占星術」が誕生していく時代の状況から、「星座」に代わる「サイン(宮)」は、マイナー・アスペクトを定めたことでも知られる古典占星学者「ケプラー」(1571-1630)しか考えられません。

なぜなら、ケプラーの第1法則や第2、第3法則など天体(星)の運動を理論的に解明した先駆的天文学者で、「古典アストロロジー」の「古典理論」にも精通した人物だからです。

ちなみに、移動する「春分点」に規定される「12サイン(宮)」を用いる西洋占星術を「トロピカル方式」と言います。

ほぼすべての「ホロスコープ作成ソフト」の設定がそうです。

一方、古代ギリシャのまま「12星座≒12サイン(宮)」を用いるインド占星術などは「サイデリアル方式」と言います。

日本の「星占い」や「現代占星術」が大きな“勘違い”をしているように、夜空の「星座」は「constellation」で、ホロスコープの「サイン(宮)」は「sign」と呼ばれまったく異なるのですが、「海王星」の象意に支配され“混同”していると、ホロスコープの基礎がご理解できなくまります。


《 「神智学協会」の布教の一環 》

もっと衝撃的な事実があります。

キリスト教が根付かなかった日本では気づきませんが、彼の「星占い」は”霊媒師マダム・ブラヴァツキー率いるキリスト教系の新興宗教団体「神智学協会」の布教活動の一環として始まりました。

そのフロント組織「占星術ロッジ」から“Astrology”と偽称して「星占い」(Astro-divination:アストロ・デヴィネーション)を広め、星占い誌を発行してPRや活動資金としていたので、組織を挙げて支援しブームとなったのです。

「星占い」が定着した現在においても、新聞や雑誌またワイドショーなどで見ない日はなく、もともとはアラン・レオや神智学協会が先鞭をつけたものです。

一方、「ホロスコープ作成ソフト」によって、誰でもホロスコープを手中にできる今日になったものの“ホロスコープ占い”の「現代占星術」がブームになることはありません。

まして、当時においてはホロスコープの作成は困難だったなので、「現代占星術」がブームになることはなく、「星占い」のブームが大衆化したのです。


●16世紀の天文学者「ケプラー」の第1から第3の法則によって天体(星)の運動が解明されました。

One-Point ◆ 日本にはキリスト教が根付きませんでした。バレンタインやクリスマスといった宗教色抜きでのイベントお祭りです。「星占い」や「占星術」も同様です。「神を科学する」という“まだ見ぬ理想”を掲げた「神智学協会」の布教活動の一環として始まったこともあり、宗教色こそみられませんが信仰的な背景を伴なうことから、今でも“占星術信仰”に陥りやすいのです。




《 “古典理論派”による「現代占星術」の誕生 》

では、なぜ“ホロスコープ占い”の「現代占星術」が誕生したのでしょうか。

その経緯は次のようです。

アラン・レオに象意をパクられ、“Astrology”とまで騙られた「星占い」に対して、パクられた側の“古典理論派”の人々が猛反発をしました。

彼らは“これが本物だ”とばかりに、「古典理論」と「ホロスコープ」を伴なって参入してきたためです。

ただし、当時の“心霊ブーム”の社会風潮にあって、「古典理論」は小難しく古臭くもあり、すでに “疑似科学”とされていたこともあって、受け入れられることはありませんでした。

まして、「天王星」と「海王星」の発見によって、「土星」までの星によって美しく構築されていた「古典理論」は、すでに理論破綻していたからです。

それでも「火/土/風/水」など、一部の用語のみは形骸化して残っています。

一方、逆に、「ホロスコープ」のほうは、近代天文学の発展によって丸い最先端のホロスコープに生まれ変わっていきます。

One-Point ◆ 今では、パソコンとネットの発達によって「ホロスコープ作成ソフト」を用いれば、誰でも簡単にホロスコープを手にできるようになりました。その反面、「現代占星術」は人為的な主観解釈の連鎖を深めて伝言ゲームのようになっています。海王星の象意でもある“混迷”へと突き進み限界を迎えているようです。最期の悪あがき状態に見えるのですが、海王星が「春分点」を正式に越えていこうとする今日、「基本三数」理論を伴ない持続可能な基礎を得る最後のチャンスのときです。



「星」がすべてを“支配”する?

●ホロスコープが発祥した当時、「星」がすべてを支配していると理解され、解釈されていました。

ホロスコープの発祥が、双魚宮時代の影響圏ながら当時は白羊宮時代(はくようきゅう じだい)の末期にあったためです。

古代ローマ帝国の世界(地中海沿岸など西欧)支配のプロセスにあったことからも、それが分かります。

そういった“支配/被支配”や“善/悪”また古代ギリシャにおける“霊肉二元論”など、「対立二元論」の歴史パラダイムが始まっていった双魚宮時代です。

そういったこともありまして、「支配星」(Ruler:ルーラー、支配者)と呼ばれました。

ですが、今後の宝瓶宮時代は、「共鳴関係論」を歴史パラダイムとして運営され、発展し、天運がそこに伴なう時代になってまいります。

ということもありまして、宝瓶宮時代の新しいアストロロジー「宝瓶星学」では、“支配星”という言葉は用いずに「共鳴星」と呼称しています。


《 近現代に始まった「12サイン(宮)」 》

さて、先回の「総括_Age of Pisces 04」の続きです。

「四角いホロスコープ」は「12ハウス(室)」から構成されていました。

当然です。

古代ギリシャ時代は、地上の「熱冷乾湿/火土風水」といった四大元素説による「世界観」の時代です。

今日のような地動説による宇宙観はありません。

宇宙の「春分点」を起点とした「サイン(宮)」の象意はもちろん、概念さえなかった時代なのです。

ただし、ホロスコープが発祥した紀元前4〜5世紀の当時は、「12星座」≒「12サイン(宮)」の状況でした。

「星座」をもちいても、あながち間違いとまでは言えなかったのです。

しかし、約2,000年が経った近代に入ると、天文学が発達し、すでに「春分点」は大きく移動していたことから、「星座」に代わり「サイン(宮)」が誕生していくことになります。

One-Point ◆ ホロスコープが発祥した当初は、地上から肉眼で見える「太陽」と「月」を含めた「惑星」を観測し、30度に等分された「12ハウス(室)」の中に“黄道12星座”の位置とともに四分儀(しぶんぎ:象限儀)などで測定した「星」の位置を書き入れていました。当時は「星座」≒「サイン(宮)」だったので、それで良かったのです。しかし、今日では「春分点」の移動に伴ない、同名の「星座」と「サイン(宮)」はすでに30度以上もズレています。昔の「おひつじ座」の位置は、今日では「魚宮」です。このことをご理解せずに、慣習によって“牡羊座”などと呼ぶのは、完全に“勘違い”です。



【補記】
※もっとも、たぶんこれらの“勘違い”や“事実誤認”は双魚宮時代が終わらなければ変わりません。
“真実”(事実)が明らかになっていく宝瓶宮時代の宇宙波動に変わり、それなりのタイムラグを伴なって、漸次、変化修正されていくことになるでしょう。
それまでは、個々人によって異なりますが“事実誤認”のまま「事実」だと信じて、“妄想支配”の状況を続けていくことになりそうです。






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